昭和47年12月29日 夜の御理解



 金光様の信心の中心、中心を忘れぬ事を教えられたという話を、( ? )しとるわけです。これは実を言うたらどこが中心かは分からんのです。それぞれの信心、私もまず丸い円の中にありさえすれば、やはり中心でこれが段々段々、ほんとの所へ真中へなって行くので御座いまずが、その真中のほんとの所というのは実際は分からんのです、私共信心の低い者では。けれどもその金光教という円の中にあればね、やはりそれはそれなりにやはり、その時その時の中心と言うものがあるはずです。
 それは形には分からんです、ただ、あのお取次ぎを頂いてお願いをするというだけのことであっても、もうそこにはすでにお取次ぎを頂いておるという中心があるわけです。ですからあの、金光教の信心になるどこが中心か見事な言い方はあるかもしれませんけれども、事実はまた同んなじであったらおかしいんです。ついこの頃まで真の信心とはと私言うてきたことが、真の信心ではないのです。けれどもそれのもう一つ奥に真の信心があったということになって、いよいよ中心に寄った気がするでしょうが。
 ただあのう、成り行きを大事にすると、御事柄と全てのことを頂いて行く。もう全てを神愛として受けて行く。そこからあのう、願わんでも頼まんでもおかげが受けられると言う信心。もうこれは私共は絶対にと思うくらいに中心と思うておった。ところが成程そういう信心を基盤として言うなら五つの願いと言った様なものが、今朝からの御理解のようにですねいよいよ、その中心を成して行っておるかのように感じる中心。だから今それを信じておるそのことが中心なんですね。
 ですから今言うなら合楽でいわれておる事に一生懸命になっておる事は、まあ信心の中心を間違えてはいない、私は信心だと思いますね。今日はあの敬親会でございます。だから色々お話させて頂いたんですけれども、何分お年寄りことですから、なかなか話し合いっちゃ難しい。けれども、御神米を頂いておかげを頂く、お神酒さんでおかげを頂いたと言う話やらは、みんなが体験を持っておられて、おられますからその話をさせてもらいよるんですけれども。
 ところでみなさんあのお神酒、お神酒さんをいつも頂いて、おってもらって頂いておりますかと言うたら、殆どの人が所謂、御神米とお神酒さんだけはもう外されませんとこう言ってますけれど、8名の人がお神酒さんを頂いてなかった。と言う事で私は( ? )先生にお願いしてから、8本お神酒さんを小さいのに入れ直して取り合えず頂いて帰ってもらったんですけれども、あのね信心の遠い時には、ただいうならどうかある時だけでも御神米を、お神酒さんをと欠かしちゃならん。
 その思う心がすでに神様を頂いておることなんですからね。その( ? )ためには、お神酒さんというなら御神米が中心なんです。教えは聞いても例えば分からないお年寄りもありますからね。ですからその方にとるならもう御神米中心、お神酒さん中心というそれはもう御神米、お神酒様と言うておる事がすでに神様を、いうなら中心にしておる事だから、矢張りおかげを受けるんですね。段々お話を頂いて、信心修行させて頂いておる内に。ほんとの中心をに見ます所の信心というものがね、ある訳であって。
 ならた今日合楽では、今、ただただ家族勢をそろえて、しかも願わなければならない5つの願いをね、今までの言うなら成り行きを大切にしながら、すべてを御事柄として頂きながら。その上にまた5つの願いを繰り返し繰り返しさせて頂いておる信心を、今、身に付けておる、行っておることが今の合楽の信心の中心をなすものなんですね。だから中心としてのやはりおかげを受けられるんですね。
   どうぞ。